気になる記事を見つけました。
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座頭市・慎吾「勝さんの声が聞こえた」
http://www.daily.co.jp/gossip/article/2010/03/26/0002812499.shtml
降りしきる雨の中、勝さんの墓の前で香取は手を合わせた。
「座頭市をやらせていただきました。これから公開に向けて頑張ります」。そう話しかけると、「おー、そうかそうか、オレも見るよ」と聞こえた気がしたという。天からのエールを受け「グッと来るものがあった」と改めて、作品への思いを強めていた。
「座頭市」は、勝さんの代名詞とも言うべき作品。ライフワークとして、1962年から89年までの26作品で主演、監督を手がけた。その完結編となる「‐THE LAST」で、市を演じる香取は、けじめとして自ら墓参を提案。この日、ようやく勝さんと“対面”することができた。
撮影前から「勝さんの存在は大きかった」と相当なプレッシャーがあったという。しかし、自らの“市”を作り上げることを決意し役作りに励み、“慎吾市”を作り上げた。特に、約1年かけて特訓した殺陣は「120点。完成したものを見て、自分でもすげえなと思えた」と納得する出来栄えに。墓前にも「とにかく思い切って一生懸命やりました」と胸を張って報告した。
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こういう芸能関係のニュースで久々に爽やかな感動を覚えました。
最近の若手俳優では珍しいくらいに謙虚な姿勢ですよね。
これがただの宣伝パフォーマンスでないのは映画を観れば分かります。
香取慎吾は目いっぱいのリスペクトを込めて真摯に座頭市を演じていました。
観てもいないのに「ジャニーズだから」という理由で悪く言うのは、
丹精を込めて映画を創った人たちに失礼なことだと思う。
(映画を観る前の自分もそうだっただけに、自分自身への反省も込め)
「天国の勝新が怒ってるぞ」
みたいなことを言うファンも少なからずいるでしょうが、
自分の遺志を丹念に掬いあげ、
今の観客にぶつけようと本気で戦う人たちを
勝さんがどうして怒るものか。
むしろ暖かく見守ってくれてるんじゃないかな。
そう思わせるだけの雰囲気が、映画の画面に出ていた。
詳しくは→
http://jidaigeki.no-mania.com/Entry/34/
「ジャニーズだから」と根拠ないレッテルで批判するのは、
「酔っ払いの勝新が好き勝手にやっている」という偏見で、
彼を不当に扱ってきたかつてのマスコミや映画ジャーナリズムと同じ。
余計な偏見なく、マッサラな目で観てあげてほしい。
「勝なら~」「勝の方が~」「勝に比べて」
そういう凝り固まった映画の見方こそが、
映画の可能性を追求し続けた勝さんが最も否定したかったもの。
『山桜』の東山もそうだったけど、
驚くくらいに真摯なんだよね、彼らは。
香取慎吾が墓前で聞いた声は本物だと思う。
で、映画を見終えた勝さんからいろいろとアドバイスを受けることになるだろうけど、
彼ならそれを真っすぐに受け止めることができるでしょう。
座頭市を間に挟んで勝さんと語り合う同い年の男。
ホントにうらやましい。
香取慎吾には拙著『天才 勝新太郎』をぜひとも読んでほしくなってきた。
映画の知識がなくても分かるよう書いたつもりだから、
何か感じてもらえるものがあるはずなんだけど・・・
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