時代劇・日本映画・テレビドラマなどの研究家・春日太一のブログです。
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はじめまして、京都在住の必殺&時代劇ファン、都の商売人です。
先日、映画『最後の忠臣蔵』を、八坂神社近くの映画館「祇園会館」で見てきたばかりでしたので、ネットで感想を検索していたところ、こちらのブログに辿り着きました。
春日様のお名前は、時代劇マガジンや集英社新書の「時代劇は死なず!」で拝見させて頂き……特に、後者の研究書は、食い入るように読ませて頂きました!
私は、必殺シリーズの大ファンで、「空想の匣」と言う、時代劇の感想・創作・研究専門のコーナーを含むHPを開設してますが、個人で「時代劇映画のロケ地巡り」をするのも趣味で、前述の「最後の忠臣蔵」で使われていた"奥嵯峨の秋山小兵衛の寓居"にも、何度か言って、写真を撮っています。去年の末に、京都新聞で「解体」される事を知って、年末に飛んで行った時には、既に跡形もなくなっていたので、本当に残念でした……。
「最後の忠臣蔵」のラストで、桜庭ななみ扮する可音が、瀬尾孫左衛門と16年間過ごした住まいをじっと見つめる場面がありましたが……映画でも、現実でも、その役目を果たし終えた「寓居」が、その後に無くなってしまった事を思うと、映画を見ていても、別の意味で感慨深げでした。
実は、私は藤田まことさんが亡くなられた「翌日」に、氏を偲ぶ意味で「松竹京都撮影所」(門前で黙祷)や大映通り商店街の「つたや」、大覚寺の明智門(=南町奉行所)、そして最後に「秋山小兵衛の寓居」を訪れたんですが、前を流れる小川に、藤田氏の供養する花が手向けてあったのが、今でも強く心に残っています(写真に撮った後、私も手を合わせました)。昨年末に発売された「小説新潮」の「剣客商売・再入門特集」を読むと、どうやらあの花は、能村庸一さんが供えられたそうですね。
「最後の忠臣蔵」では、あの住まいが本当に印象的に使われていましたが、武士の生き様・死に様を見事に描いた「重厚な作品」だったように思います。年配の人しか見なくなったと言われ、低迷が続く時代劇ですが、様々なジャンル・切り口の時代劇ドラマ・映画が。もっと出て来て欲しいと思います。
……長文、失礼しました!また、お伺いさせて頂きます。
藤田さんの死、映像京都の解散、「剣客商売」の一端の終了・・・
劇中だけでなく、いろいろな意味で家主を無くしたあの小屋がずっと映し出される映画のラストには、私も感涙でした・・・
『必殺』に限らず、今後とも京都の時代劇を御支援願えましたら幸いです。